社会福祉法人奥浦慈恵院 児童養護施設 奥浦慈恵院

「自分を愛するように隣人を愛しなさい」とのカトリックの愛の精神に基づき、聖母マリアに倣い、社会の必要に応え、人々にキリストの愛をもたらすよう努めます。
上記の理念に基づき、児童養護施設においては、
児童福祉法の理念に則り、家庭において適切な養育を受けることができない児童を家庭に替わって養育する。その実践にあたっては、カトリックの愛と奉仕の精神をもって育み、児童の必要に応えるよう努める。

1.生命を尊び、畏敬の念を持つことのできる子ども
2.真の自由を解し、規律を尊重する子ども
3.自分の生活を創り出し、整え、共同の場、将来は社会生活の場で自分の役割を果たすことのできる子ども
4.動物、植物、自然への関心を持ち、大切にする子ども
5.限られた生活範囲だけでなく、世界に目を向けることのできる子ども
6.日常生活の場で親切やおもいやりを実践できる子ども
 

1.子どもの声に耳を傾け、一人ひとりが十分に愛され、受入れられていると感じることが出来るように努める。
2.生活場面での関わりや専門的心理治療を通して、安心安全と心身の成長を促す。
3.健全なる社会人となる素地を築くための教育、学習の充実及び文化、芸術、スポーツ等の諸活動を通して、個性、可能性の伸長をはかる。
4.内外的な体験を通し、自分から発信できるコミュニケーション力を身に付け、自立へと繋げる。
5.ホーム構成は、小人数の家庭的規模を保ち、全体的には集団生活の利点:協調性、諸行事を通しての協力、助け合い等対人関係について学ぶよう支援する。
6. 家族再統合を目指し、親、親族との関係改善への支援。

パリ外国宣教会のマルマン師が初めて長崎県の五島に派遣されたのは明治10年のことでした。その当時、奥浦村大泊に腕の良い産婆・梅木マセという人がいました。彼女はその仕事に携わりながら「まびき」が行われ、不義の子、双子達が闇から闇に葬られていくのを目の当たりにし、心を痛め、そのことをマルマン師に報告しました。マルマン師は、早速こうした不幸なこども等の救済に乗りだし、当時、師の賄いをしていた濱崎ツイをはじめ、近隣の熱心なカトリックの家庭の娘たちに協力を求め、大泊の一民家(梅木マセ宅)を借り受けて養育を開始したのです。時は明治13年10月17日、これが「児童養護施設奥浦慈恵院」の起源なのです。